批判されても気にしなくて良い理由
筆者もブログというものを開始してまぁまぁの年月が経ちました
きっかけは新型コロ助が起こった時で、その頃から書いてきた記事数が皆さんのおかげで1000記事くらいになっています
ありがたや、ありがたや・・・
最近では週に数本ですが、開始当初は気合いの毎日投稿でしたからね(無職で暇だったのもあるけど)・・・
これだけ日数と記事数があると少なからず記事に心無い誹謗中傷や意図しない解釈をされてしまうこともあります
面と向かって行ってくるならまだ話し合いで何とか消化できますが、どこの誰かもわからない他人から突然誹謗中傷や意見の総意での批判をされたら気持ちのむけどころに困ってしまいますよね・・・
今日はそんな言われもない誹謗中傷や批判などをされた時にどんな心持ちでいたら良いのか?ということを解説していこうと思います
こんなこと書いたらまた誹謗中傷や批判がくるかもしれませんが・・・
坊主でもやってりゃ・・・ここで引き返しもできるんだろうが・・・
これが武道家の辛えところよ・・・
・・・の精神で書いていきますので最後まで楽しんで行ってね^^
それじゃ今回も・・・
目次
- 結論
- 現在と過去で批判はそんなに変わってない
- 批判されない方法とは?
- 知ってもらうということは好かれるか嫌われるかの2択
- 批判は攻撃じゃない
- 自分の意見を発信するには責任を伴う
- 批判をなくすのは不可能だ・・・
- 親兄弟でさえ他人なんだから分かり合えないことを理解する
- 批判意見に関わるのは時間の無駄である
- 人生は短いので・・・
- 批判されるってことは・・・
- まとめ
結論
さぁて!
早速今回の記事の結論を書いていくぜ
「批判はやりたい人は勝手にやったら良いと思うが、結局時間の無駄である」
結局これですな
じゃあ次は批判についての解説していきます
現在と過去で批判はそんなに変わってない
批判される人ってどんな人でしょうか?
昔だとテレビなどに出ている有名人にその矛先は向いていました
だが、現在ではSNSの普及で情報発信する人がえぐいくらい増えました
そうなることで批判の矛先は有名人にとどまらず一般の情報発信者にも及ぶことになりました
そんな意味では批判する人っていうのは目についた人を批判するというスタンスは過去も現在も変わっていないというのが結論となります
批判されない方法とは?
じゃあ批判されない方法ってないのか?
あります
答えは「吉良吉影みたいに静かに暮らす」です
常に目立たず、勝ち負けにこだわらず敵を作らない・・・
すぐジョジョを持ち出すから余計にわけわからんくなるという人はここからが本番です笑
一般の人で批判に晒されない方法は「発信しない」これにつきます
批判を浴びる流れは以下の通りです
- 一般人が情報発信をする(ネットに出すと世界に拡散します)
- 存在を認識される
- あいつの言っていることは違う、なんかムカつく
- 批判の的になる
要するに、情報を発信することで自分で批判されに行っているということとなるのです
知ってもらうということは好かれるか嫌われるかの2択
情報発信して少しチヤホヤされたい・・・
俺にも気軽に情報発信させてくれ・・・
そう言いたい気持ちは分からんでもありません
しかし、極端にいうと人の目に晒されるということはタイトルにもありますが「好かれるか嫌われるかの2択」なのです
これは誰でもそうです
あんなにパーフェクトな大谷翔平でもアンチは存在しています
そんな人でさえ嫌う人がいるのに庶民である私を世界中のみんなが好きなんていうことは10000%ありません
なので安心してください^^
誰かに知られるということは影響力を持てる代わりに自分を嫌う人からは批判をされてしまうということです
それが、どれだけ偉かろうとお金を持っていようと、偉大な功績を残していようとも・・・です
批判は攻撃じゃない
批判する側にも言い分というものがあります
情報発信をしていて批判してくる人にまず思うのは「別にあんたに言ってるわけじゃないから指摘してくんなよ!」です
これは批判する側からすると「お前が無差別な意見発信で不特定多数を不快にしているからだろ!」となります
なのでこちらが勝手な意見発信で不特定多数を不快にさせておいて「別にあんたに言ってるわけじゃないから指摘してくんなよ!」は成立しないのです
多くの人は「批判は攻撃である」と思っていますが、自分が発信した意見によって誰かが不快に感じたから批判されるのです
よって批判は攻撃ではなく反撃であるということは頭に入れておかないといけません
こちらが攻撃したから相手は反撃しただけに過ぎません
自分の意見を発信するには責任を伴う
せやかて・・・
いやいや、攻撃する意図なんてないし、そういうつもりで言ってるんじゃないし、そもそもあなたに言ってるわけじゃないし・・・etc
わざわざ俺にいい返して来ないでくれますか??
と言いたいところですが、言葉の意味っていうのは全て受け手が決めることなのでその理屈は通りませんよってことです
情報発信者とリアルに接している人ならどんな人間性かわかっているので少々荒く説明してもポジティブな方向に補正してくれますが、全くその人を知らない人からすると反射的に反撃するのです
先ほどの吉良吉影のお話に戻りますが・・・・
唯一の批判を避ける方法としては「情報発信をしない」「存在を認識されないようにする」
これにつきます
誰も知らない人のことを人は批判なんでできませんからね
吉良吉影のように誰にも悟られずひっそりと生きていくことで批判を避けることが可能となります
でも、それをせずに自分の意見を発信しているということは自分の存在をアピールしているということなので甘んじて批判を受けないといけない責任が伴うというロジックです
途中から吉良吉影とか出てきたらごちゃごちゃになったのでまとめます
- 情報発信をする
- 反対意見を持つ誰かが攻撃されたと思う
- なので反撃する
- 情報や意見の意味はその受け手が決めるので「あんたに言ってない」「攻撃する意図はない」は通用しない
- 批判されたくなかったら発信しなければいい
批判をなくすのは不可能だ・・・
先ほども言いましたが批判をゼロにするのは不可能です
それをわかりやすく描いたのがこちら
超有名ですよね
左上からスタートします
「二人でロバに乗るなんてロバが可哀想だ」
じゃあ爺さんだけロバに乗ってロバを楽にさせよう
「爺さんだけが楽をして婆さんが可哀想だ」
じゃあレディーファーストで婆さんをロバに乗せて爺さんは歩きましょうや・・・というと
「爺さんを歩かせて婆さんだけ乗る何でけしからん女だ」
って言われちゃう
それならもう二人とも降りて歩きましょう・・・とすると
「あいつらはロバの正しい使い方も知らないバカだ」
って言われちゃう
こうなったら一体どうしたら正解なんや!!!!ってなっちゃいますよね(かなり極端な例ですけどね)
なので、何をしても何かしら批判をされてしまうということは頭の中に入れておくと心のお守りになります
親兄弟でさえ他人なんだから分かり合えないことを理解する
これだけたくさんの人がいるので、みんな意見が違って分かり合えないってことだけはわかってもらうとやはり心のお守りになります
「みんな違ってみんないい」ですby金子みすゞ
良かれと思って多額のお金を寄付しても、「偽善だ!」と言って批判されます
どんな善行にも批判されしまいます(大谷翔平がグローブとボールを全国の学校に寄付しても何かしら文句言う奴おったからね・・・いいことやってんなぁと思うし文句言うならやってみろやって普通に思う筆者です)
先ほども述べましたが、意見発信や行動には批判を受ける責任が伴います
だが・・・
「全ての批判に対応する必要はない」と思ってもらえるとやはりここでも心のお守りになります
真面目な人ほど「全ての批判に対応しないといけない」と思いがちですが、んなこたない!です
どんな意見でも何かしら批判されると言うことを認識するということ前提において「批判というものは無視してもいい」「取るに足らないものである」というスタンスでいくといいです
それらを踏まえて「自分と分かり合える人とだけ付き合う」というのが生きる技術であるといえます
批判意見に関わるのは時間の無駄である
無駄なことをするより無駄じゃないことをして生きる方がいいです
その無駄の最たるものが、「他人を説得する」という行為です
無駄っていうか「無理」です
「みんな違ってみんないいby金子みすゞ」のです
あとは他人を説得するメリットはほとんどありません
理由は時間は有限だからです
そんな時間の大切さを言っているのがこちら
犬に吠えられるたびに立ち止まって石を投げていては、いつまでたっても目的地に辿り着けない
ウインストンチャーチル(イギリス元首相)
そんなわけで意見発信や情報発信をしていると何かしら批判されます
なので他人の批判というのは無視していいです
何処の馬の骨とも分からん他人の批判と戦う行動は勝ってもまた戦いの連鎖を生むだけだし、負けても腹立つしどのみちいいことはありません
赤の他人と戦って無駄な時間を過ごすより、その時間で自分のやりたいことをやった方が幸せなのは明らかです
批判された人は無視されて少し嫌な気持ちになるかもしれませんが、そんなことは知りません^^
自分が一番大事ですからね^^
あとは、「批判する人は少なくとも馬鹿である」(批判が正しかろうと正しくなかろうとね)
怒る前に以下の理由を確認してもらえるといいです
批判というのは相手のために自分の時間を使う行為で、批判された相手のためになることである
どういうこと?
お前のそういう所悪いから直せよ!って言って直したらどっちが幸せになりますか?
言われた方が幸せになるでしょう?
飲食店に接客態度悪いってクレームを言ってお店がそこを改善して売り上げが上がってどちらが幸せになりますか?
自分には何もメリットはありません(少しはあるかもだけど・・・)
つまり、批判という行為は相手のために自分の時間(命)を使う行為なので自分にとってのメリットがないです
以上の理由で批判というのはどんなにいい内容でも馬鹿なのです
時間(命)の使い所が下手なのです
何かに対して批判する時間があるなら、それを無視して自分のためになることに切磋琢磨していった方がはるかに有意義です
そうすれば相手じゃなくて自分が幸せになることができるのです
※ここでの他人とは(不特定多数の知らん人のこと)のことですよ
人生は短いので・・・
人生はあまりにも短いです
おまけに若い時間というのはさらに短いです
ゆえに
- 誰かを批判しても幸せになれません
- 誰かを説得しても幸せになれません
- 時間は自分のために使いましょう
人を批判して人に改善を促している時間はありません
自分の幸せのために時間を使いましょう(マッスル北村もそう言ってる)
批判されるってことは・・・
そうはいっても現在批判されていてメンタル弱っている人に朗報です
誰かに批判されるということは・・・
- あなたは少なからず相手の心を動かしています
- 批判する人もいますが、あなたに味方する人も増えてます
- そして何より意見発信や情報発信は批判されるところがスタートラインです
人はどうでもいいことでは反応しません
反論を抱かれるくらいあなたの意見や発信は人々に刺さってます(いい兆候です^^)
批判されるということは多数の人が自分の存在を認識してて気になっている一方で多数の人が味方にもなっているということです
なので、何かを発信する人っていうのは批判されるところがスタートで、むしろ一切批判されないという人は誰に心にも刺さっていないということなので方向性を考え直さないといけないともいえます
そんなわけでこれからもどんどん批判されていって自分を磨いていこうと思っている今日この頃である^^
まとめ
批判は時間の無駄
昔は批判は有名人に向いていたが、SNSで一般人が情報発信するようになり矛先が一般人に向くようになった
批判されたくなけりゃ何も発信しない
知ってもらうということは好かれるか嫌われるかの2択
批判は情報発信をしたことによる反撃である
意見発信は責任を伴うので反撃を喰らうのは必須
何をしても一定数批判はある
だからと言って全ての批判に対応する必要はないし無視していいし自分と分かり合える人とだけ付き合う方が有意義
批判する人は相手しか得しないと知らないから馬鹿
人生は短いので批判なんかせず自分のために使おう
批判されるってことは少なからずいい兆候なのでめげずにどんどん意見発信していきましょう
That’s all I want to say today
I love you for reading till the end
それじゃ・・・
書いてる人
著者近影
広島県の福山で筆者は国家資格である天才柔道整復師として身体の不調や痛みの原因を根本治癒させるために、今まで数万人の患者さんの治療を行なってきました。そんな中、筋肉やトレーニングだけでなく、栄養や生活習慣の面からも改善しないと根本治癒できないと考え研究を行っています。「運動・休養・栄養」の3つの柱で患者さんの生活の質の向上を考え治療活動中です。海原雄山・北大路魯山人と並ぶ自他ともに認める天才美食家。
世の中の悩みなんてだいたい「お金」「健康」「人間関係」でその解決方法は本に大体書いてある・・・